メンタルヘルスを快適にする、人とのほどよい距離感について
最高の自分を引き出す!
メンタルトレーナーの森川祐子です。
さて今日は「人との関係性」について。
人と長くつきあえうことが得意ですか?
何年経っても、会うと親しげに会話がはずむ!という人もいれば、時間が経つと、呼び方まで変わってしまう。
以前は「◯◯ちゃん」と下の名前で呼び合っていたのに、よそよそしくなって名字で呼ぶようになってしまう。
そういう人いませんか?
こういう時に無理をして、ちゃんづけにする必要はありませんが、何がそうさせているのかを見てみるといいかもしれません。自分のことを理解するきっかけになります。
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しょっちゅう顔を合わせたり、話をする機会がある、SNSのやりとりをしていたりすると相手の考えていることが何となくわかったりするものです。
けれどそういう人でも頻繁に連絡を取りあわないようになると、どうなるか?
「相手の考えていることがわからない…」・・・では、ありません。
相手が自分に対して、仲のよかった頃のような好意的な感じはない、という気がしてくるから不思議です。「あれ〜?半年前にはあんなに気やすく話せたのに、なんだかよそよそしいわ」
「私、何か、怒らせたのかしら?」
そこまでいかなくても「よくわからないけれど、居心地が悪い気がしてくる」
でも私がこんなにやきもきしているのに相手は、気にも止めていないように見える。そうなのです。嫌われているわけではなく、自分に対して関心が薄れているといった感じが一番近いのではないでしょうか。
さて、そういう相手とあなたはどういう関係でありたいと思いますか?
人から嫌われたくないという気持ちが強い人は、関係性を修復しようとするかもしれません。
それもいいでしょう。
ここからは私の持論ですが、こちらから積極的にかかわらないと関係性が希薄になるような間柄であれば、私は放置しておいていいと考えます。本当に関係性回復に労力をかけるべき相手なのか?を見極めるのです。
疎遠だと感じたのは、実際のところ相手がどう思っているかはわかりません。
つまり、こちらのこころの”あり様”=心の投影です。
ちょっとした相手の表情や態度をそう読み取って、疎遠だと感じただけです。実際にそうかもしれないし、そうでないかもしれないし。
人とのつき合いや、関係性の深さというのは人それぞれに全く違います。
誰とでも仲良くなりたいと思う人は、時としてその思いが足かせになって思い通りにならないことで、不快な思いをするかもしれません。
「いやいや、いい大人なんだから誰とでも仲よくなりたいとまでは思っていない」と思う人でも、「嫌われたくない」と思っているのではないでしょうか。
「嫌われる」というのには一定以上のエネルギーがいる話なので、きっかけや理由がある話です。たいがいは「関心がない」という分類に入ることが多いのではないでしょうか。
そう、だから今の関係性で受け容れる。つまり「よし」とすることです。
それ以上に深くかかわることに理由がないのであれば
「関心がない」というポジションを作っておいて、現状を「それもありだ」と受け容れるということです。
どんなにいい人でも
どんなに好きな人でも
人間ですから、合う合わないとか思っていた人と違う…という部分はあります。
そこで、思っていた人と違うから、付き合わないではなく、「それもあり」とグレーな部分を認め距離を保留にする。
もっと言えば、目線の高さが変わってくると、”自分の捉えていた人物像とは違う”ことこそが魅力だと思えるかもしれません。
そういうつき合いがあってもいいのだと思うのです。
人間関係の深さは、さまざまです。
さまざまというのは、深くも浅くも付き合えるという意味ではなく
(恐らく、一定の浅さの中ではそれもありえるが)
浅いつき合いしかできない人には、深いつき合いはできない、という意味です。
一方で深いつきあいを好む人は、深くも浅くも選べるのでしょうが
その「深さ」も様々だと思われます。
では、何をもって、つき合いの浅さ・深さと言うのか?
それは・・・
「深さ」の一つは相互理解の深さと言ってもいいかもしれません。
どういうつき合いがベストかわかりませんが、それを決めるのは、自分だということだけはわかります。
さあ、あなたは人との距離感、どういう付き合いを望みますか?
今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。
代表 森川祐子